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花山院定教 (左近衛中将) : ウィキペディア日本語版 | 花山院定教 (左近衛中将)[かざんいん さだのり] 花山院 定教(かざんいん さだのり、寛永6年10月1日(1629年11月15日) - 承応2年12月12日(1654年1月30日))は、江戸時代前期の公卿。明正朝(109代)から後西朝(111代)期の朝臣。最終官位は従三位左近衛中将。藤原北家師実流花山院家23代当主。 左大臣花山院定好の次男。母は関白鷹司信尚の姫。兄に花山院忠広、弟に花山院定誠がいる。 寛永16年(1638年)に叙爵。寛永20年(1642年)に元服し、左近衛中将に任命される。正保3年(1646年)に従三位となり、慶安2年(1649年)には踏歌節会外弁をつとめたが、承応2年(1653年)に死去。享年25。
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